イタリアで田舎暮らし/生活費は一カ月いくらかかる?

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以前、イタリアはフィレンツェでの暮らしの様子を書きました。

今回は、イタリアの田舎暮らしの様子を記録します。

(関連記事) :イタリア暮らしの様子と生活費をブログで綴る(フィレンツェ編)




イタリアの田舎暮らしの様子ブログに記録

私たち夫婦はイタリアに来てすぐの頃、フィレンツェに住んでいたことは既に以前の記事に書きました。

それから1年半くらいして、主人が北イタリアでの仕事が決まり、まずそこへ彼だけが先に行くことになりました。

treviso(トレヴィーゾ)県にあるmontebelluna(モンテベッルーナ)という町があって、そこから車で20分くらいの田舎に勤務先のレストランがありました。

イタリアは、修行先のレストラン側が住むところを用意してくれることが多いです(ただフィレンツェなどの都会ではそのケースはあまりないのですが、、)

(関連記事) :イタリアで修行する日本人コック(料理人)の生活事情

で、そのmontebellunaでのボスとなるオーナーシェフがジョバンニ(上の写真)で、主人は最初は彼の実家の一室に住みながら働いていました。

家賃、光熱費はタダです。

後々、わたしもフィレンツェから引越してきたので、その部屋に一緒に住むんですが、それからは光熱費だけ1カ月で120ユーロ払うという形をとってました。

そう、この場合も家賃はタダ、

だいぶ有り難かったです。

でも実家の一室なので、それこそ玄関は別の入り口がでしたが、部屋は狭かったです。

東京でいうところの1人暮らしの部屋のサイズ。

しかも、キッチンは外だったので冬の調理は寒いし、田舎なのでネズミも普通にスタスタ通っていたり。

その上、その部屋の中に貯蔵庫が併設されていたので常にサラミなどの香りがふんわり。

いろいろな不便はありましたがまぁ今となってはいい経験で、6カ月くらい一緒にそこで住んでから新しい住居に引っ越せることになりました。

引越し先は、ジョバンニの知り合いの大家さんのところでした。

下の写真がその彼ら。

右がご主人のエンリコで、左が奥さんのシルヴァーナです。

そこは、彼らの敷地の一軒家とは別に、二つ賃貸としている家がありました。

日本でいうところだと、何ていうのかな。

アパートでもマンションでもなく、一つの建物に二世帯の部屋があるタイプ。

下の写真は、家の裏口でエンリコと。

彼らは、敷地内に自分たちの畑をもっていて、そこで野菜や果物を育てていたので、収穫したものをよくおすそわけしてくれました。

夏になるとズッキーニやきゅうり、トマトなど、春は苺もなりました。

そして、豚と鳥と牛も飼育していました。

毎年12月になると、豚をつぶして一家総出のサラミづくりが恒例行事となっています。

(関連記事)本場イタリアでサラミ作りを見てきました。




イタリアの田舎暮らしと都会暮らし、生活費はどのくらい違う?

ここから生活費の話を。

大家さんのエンリコ達のところの家は、夫婦2人で住むには十分な広さでした。

現在、私たちは家族3人で65の賃貸暮らしですが断然いまより広い部屋でした。

で、家賃はというと。

1カ月380ユーロでした。

光熱費は1カ月に100ユーロもしなかったです。

ただ、田舎なので車がないとものすごく不便。

最初は、自転車で職場まで通勤したり、日用品の買い出しを済ませていましたが、例えば遠出するのに電車に乗る場合は最寄り駅に行くにしても自転車では厳しい距離でした。

そこで必要にせまられて車を買うことになって、ボスのジョバンニに相談したら彼が見つけてくれました。

700ユーロの車でした。

フォルクスワーゲンのルーポでかなり年式が古かったけど、でも即決。

そうそう、1カ月の生活費の話。

380(家賃)

+100(光熱費)

+300(外食費)

+200(食材費)

+40(携帯代)

+50(雑費)

+100(ガソリン代)=1,170ユーロ。

夫婦2人で、1カ月1,170ユーロくらいで生活してました。

フィレンツェの頃と違うのは、家賃と光熱費が200ユーロくらい安くなったのに比べ、車を所持することで毎月のガソリン代がかかりました。

それでもフィレンツェ時代は、一か月に1350ユーロ前後を生活費の基準としていたので、その頃に比べると田舎暮らしは200ユーロくらい安かったです。

ちなみに、フィレンツェの暮らしの記事でも書きましたが、当時わたしたちは、食費や外食費を節約することはしませんでした。

イタリアの食文化を知りたくてここに来たわけだし、食べ歩きもたくさんしたかったし、いいワインやチーズも買って食べて勉強したかったから。

外食をあまりしない場合でしたら、日本よりは食材は安いので、食費自体はかなり抑えられます。

まとめ

もしこの記事を読んでくださっている方の中で、イタリアで住むこと(留学)を予定されている方がいたら(いいな)。

イタリアの都会フィレンツェと、田舎での暮らしとは全く違いました。

田舎あるあるですが、車がないと超不便。

そんな困った時は、周りの頼れるイタリア人に甘える、

これです。

日本人の気質的に、「こんなことまでお願いして申し訳ないな。。」って思う気持ちも働きますが、彼らはこちらが気にする程、気にしてません。

『とりあえず何かあったら聞いてみる、

お願いしてみる。

そして頼まれた側も出来るならやる、

出来ないならそれだけの話。

とにかくまずは、聞きなさい。』

このフレーズをエンリコに何度も言われました。

一度断られても変に萎縮しないこと、

また別の用事の時はそれはそれでお願いしてみる、

イタリア人は頼む側も頼まれる側もそこがすごく上手です。

ちなみに。

今現在はどうかは分からないのですが、わたし達がイタリアにいた頃はresideza (住所登録)がないと車を購入することが出来ませんでした。

学生VISAで滞在する場合は、そのresidenzaを取得するのが難しいのかややこしいのか、その点が車を買うのにネックなようでした。

でもとにかく、いずれにしても日本から来る時は必ず国際免許は発行してもらってください。

免許証がないともちろん運転自体出来ないのと、数ヶ月の滞在であればレンタカーを長期で借りるというのもひとつの手段かなと思います。

それから。

人との繋がり。

私たち夫婦は、montebellunaに引越ししてきた頃はイタリア生活3年目で、生活に困らないレベルの会話は一応できました。

が、暮らしの面では常にイタリア人にサポートしてもらいました。

就労ビザ関連はもちろん、車の買う手続きから買ったあとの保険選び、あとはわたしの妊婦健診のサポートとかも。

フィレンツェに住んでいた頃は、暮らしで困ることってほとんどありませんでした。

でも、田舎暮らしはとりあえず周りにお願いしたり甘えながらしないと生活出来ないことばかりでした。

さて。

都会暮らしと田舎暮らし、どちらが良かったかって。

個人的にはフィレンツェのような都会の生活は、刺激もありすごく楽しかった!

でも一方で、イタリア本来の暮らし方や人との繋がりみたいな点で言えば、わたし達の場合は、圧倒的に北イタリアの彼らから教わりました。

日本からイタリアへ渡る方々の目的はそれぞれなので、住む場所が選べないケースもあるとは思いますが、都会に住むか田舎に住むかで生活スタイルはだいぶ変わってきます。

最初は語学学校に留学するケースが殆どだと思うので、おそらくそれなりの規模の街に住むことになるはずです。

その場合は、交通の便もいい地域の可能性が大きいですし、その間にいろんな街を見にいってみてその土地土地の空気感を感じてみるのも大事です。

もし田舎に住むとなったら、お仕事か修行先の関係になる可能性が大きいのかな。

その場合は、都会に住む場合より積極的にその地域の方々と接する機会を意識することをおすすめします。

田舎は都会よりも人との距離感が近く(それは日本もか)、何か困ったことがあると人づてでも助けてもらえることが少なくありません。

一般的に日本人がイタリア人に持つ印象として、明るくて陽気でオープンマインドみたいなことが浮かびますが、実際の彼らは意外とシャイで保守的な部分もあります。

でもこちらから好意をもって積極的に接すれば、イタリア人も自然と心をひらいてくれるし、いい関係が築ける上にそのことで暮らしが何倍も楽しくなります。




おわりに

ここからは、タイトルとは関係ない話。

私達がエンリコのところに住みはじめて1年も経たないうちにシルヴァーナが亡くなりました。

あまりに突然のことで受け止めるのに時間がかかりました。

このことをきっかけにわたしは、「普通の幸せがつづく幸せ」をこれまで以上に感謝するようになりました。

彼女が亡くなる前日、いつもの庭先で大きなスイカを切り分けてたべました。

わたしは彼女のことをいつも「おばあちゃん(nonnina)」と呼んで慕ってました。

以下、当時のInstagramの記録を抜粋して、今回はここで終わります。

【スイカの会が終わって食器を片付けに彼らのところにあがった。

リキュールをとエンリコが用意してくれた。

落ち着いてから彼は眼鏡をかけて箱からいくつもの薬を用意しだした。

妻の為だった。

『ぢゃあ 来週 サトが料理してくれるなら 何人招待しようかな 』って話し合って。

とりあえず「 うちらは何人でも嬉しいからまた明日ねっ」て 挨拶をして。

わたしはいつものようにシルヴァーナにバーチをした 「おやすみ」って。

それが最後だった。

多分 彼以外に わたしが最後だった。

それから彼女は数時間後に危篤になって。

今日 あの日以来 初めてエンリコの冗談を聞けた。

わたしだって前に進まなければいけない。

書きたいことは常にハッピーなことだけれど受け入れがたいことだって書き留めたいと思う。

現実にいる世界はこうなのだから。

あの最後の夜に見せてくれた写真。

『ほら見てよ これが私たちの若い頃よ』 って。

夕食会を予定していたこの月曜日 彼女のお葬式に参列した。

わたしだって前に進まなければいけない。】

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