『ショートケーキは背中から』
昨日の就寝前に、ショートケーキは背中からを読み終えた。
著者である平野沙希子の何がすごいって、対象物に対しての独特な切り口と視点だと思う。
それでいて読み手を一瞬で引き込むリズムの良い文章力は、しゃべり言葉とそう変わりないくらいに目にも優しい。
彼女にはいわゆるお決まりのパターンみたいな書き方がなく、その時々で決して被らない圧倒的な語彙力もまた読み飽きさせない強さなのだと思う。
本書の内容は、食べることにまつわる短編集(というのかな?)なので、きっと好きなページから読み進めても問題ないと思うのだけど、順番通りに読んで良かったと思った。
というのも、後半部分に彼女の学生時代や家庭環境が垣間見える部分があり、そこがまた誰にでも当てはまるというわけではないんだけど少なからず共感したくなるというか、読み手との距離を縮める効果には十分すぎた。
実はこの本を買った日。
日々のタスクに追われていっぱいいっぱいで、やらなきゃいけにことはあるのにやる気が起こらず気持ちもおちていて。
そんな中、束の間の気分転換に少しだけ本屋に立ち寄った。
立ち読みをしようと思ったはずなのに、ふと「そうだ!」と思い出してこの本を探していた。
まだ読んでなかったな、
手にとってお会計をした。
毎日少しずつ読み進めて2週間ほどかかったが、「お菓子屋の日々」という章を読んで妙に納得した部分があった。
お菓子を売るときの文句には、ついつい「ハッピーな気分に寄り添えますように」とか「ときめき溢れる季節に」とか、ポジティブな言葉を添えてしまいがちだ。自分自身もテキストを書いててそういう言葉遣いについなってしまう。でも、本当はそれだけではないんだよなぁと思う。むしろ菓子は悲しみに寄り添うものである。私だってもうダメかもしれないと思うとき、心がぺしゃんこになっているとき、お菓子に救われたことが何度もある。ハッピー、だけじゃない。ハッピー、アンド、サッド。それがきっと正しい。
毎日の生活って、キラキラしたことばかりじゃないし、むしろそうじゃない方が多いのかもしれないけれど、そういうことに無理して自分で蓋をしようとせず 受け入れて過ごしていけたらいいなと思った。
この本を読み終えた翌朝、私はなぜか新しいこれからが始まるようなそんな気分になっているよ。